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① 372-7034 むつ市内で ’63年10月撮影
東北地方には数多く配置されていた日野のボンネット型の一台です。後方にはリヤカーを曳いたご婦人、背中に大きな文字を書いた法被を着た男性。 駅からそう遠くない場所での撮影なのですが、ここがどの場所なのか記憶にありません。道路の様子から見て国道279号線沿いと思われます。道路沿いの建物、何台かの車、写真に色がついてないことなどなど40年の歳月が感じられますね。 ![]() ② 312-8048 大湊営業所 昭和38年10月撮影 国鉄バスの元気な姿を求めて、カメラ片手に東北地方を一回りしたときの一枚です。 人々の大切な脚として大活躍していたバス達なのですが、ちょっと塒が可哀想な感じがします。少し細めの柱に支えがあったり、柱の付け根には雑草が生えていたり。 でも眠っている車自体は5年程しかたってない働き盛り、 国鉄が採用したいすゞのボンネット型としては多分最終型です。 本来なら左右のヘッドライトの間に3本のメッキグリルがあるのですが、どういう訳か取り外されています。 ![]() # by qqmemoir | 2006-04-02 08:57
① 342-xx、543-xxほか 京都自動車営業所にて’55年代後半撮影 正面からの写真のため社番確認は出来ませんが、両端の34x型は’53年以前、中央よりの34x型は’54年以前の型、中央よりの34x型は’55年以降の導入です。 中央の54x型は’57年型なのですが’56年の54x型は私の記録にはありません、さらに詳しくチェックしてみます。この右から2台めの34x型両端の34x型に比べ目の錯覚なのか事実そうなのか、やや幅が狭いように感じます、またトレッドもよーく見ればやや狭いのでしょうか。京都営業所は京都駅正面を出てすぐ左手にありました。 現在ではとても想像できない風景です。 でも駅前という超一等地、バスの車庫ではもったいないということでしょうか、数百メートル離れた広い場所に移転しました。 正確な移転の時期はわかりません。 しかしその近辺にも市街化の波が押し寄せ高層建築が建ちはじめ、私が知ってるだけでも今回は2度目の移転、東海道本線の西大路駅近くの東海道線の路線際、いまは高速バスや高雄、周山(名前の通り周囲は山また山)方面行きのバスが数多く停まっています。 ![]() ② 413-2007 岩泉営業所にて’63年9月撮影。 四国の松山高知間の特急バスの導入より1年遅れの’62年式のバス、当時の道路事情と利用者からの要望をうまく適える方法の一つとして特急バスの運行が検討されたのだと思います。 岩泉はかなりの山間地で決して交通の便利がいいはいえなかったところです。 実際にこのマイクロバスによる運行が行われたか否かは確認していません。 ![]() ③ 534-4503 篠山町内(当時)にて’60年代後半撮影 特に変わった特徴のない関西ではあちこちで重宝された534型です。 当時としてはそう珍しくなかったのかもしれませんがドアーが開いたまま運行されています。現在でもアフリカや東南アジアではドアーを開いたまま走るのは当たり前、エアコンの無い車ではとても暑くて閉められないということと、完全に停車しないバスに乗り降りする人への配慮(?)でしょうかドアーを閉めないで走るのも珍しくない、でもこの写真の直前を走っている自転車の人もコートを身につけ、道路際には積雪さえ見られます。 混雑してドアーが閉められなかったようです。 現在のバス会社の関係者が見れば羨ましいのでは?? ![]() ④ キハ02 2 江川崎駅にて’60年代前半撮影か? 気動車の中で小型の車両はレールバスと呼ばれていました。 これもそのうちの一つ。 でもよーく見ると前方にもう一輌連結されている。 ディーゼルカーの総括制御が取り入れられて、そう年数は経っていない時ですが、このような小さな車両でも一人の運転士で何両も連結して運転できる、運用効率も上がったことでしょうね。 ![]() ⑤ 043-2001 沼宮内営業所にて’63年9月撮影 ちょっと見ただけでは何の変哲も無い三菱のバスなのですが、多分日本では唯一のバスと思います。 これは道路と軌道の両方を走行することが出来るバスの試作車です。 晴海で開催された鉄道博では2軸ボギーを装着した状態で展示されていました。 どのような試験が行われたのか、部外者の私には全くわかりませんが、乗客を安全に輸送するには問題があったということでしょうか、それともこれを必要とする路線が少なくなっていったということでしょうか。 道路と軌道を乗り換えなしで実際に営業に使用されたという話は聞いていません。 ここ沼宮内では普通の道路を走る普通のバスとして営業に付いていました。 ![]() # by qqmemoir | 2006-04-01 15:14
どうして?
昭和20年春、西宮市(当時は武庫郡鳴尾村)から戦火を逃れてS町へ家族で疎開しました。通学途中に当時の省營バスの小さな車庫がありました。道路の角に沿って2階建ての待合室と事務所を兼ねた小さな建物、その隣の車庫の片隅には大きな旋盤が設置され、部品の補充がないとみえてよく内コンパスや外コンパスをあてながらエンジンの部品らしきものを切り出していたのを記憶しています。 また今で言うアスベストなのでしょうか、水で柔らかくした白いベトベトした物質をガスケットとして勘合部分に使用されていたように思います。 当時は人より荷物の利用が多かったとみえてトラックの方が数多く配置されていました。 満足に動く車も少なかったように思うのですが、特に印象深いのはトラック、助手席のすぐ後ろに大きなガス発生窯を乗せて、木炭といっても木材をこぶし大かもう少し大きいぐらいに裁断して、窯の上蓋を開いてその中にいれ上から鉄の棒で中に詰め込む、そしてどのようして点火したのか記憶に無いのですが、手回し式のブロワーでガーガーと空気を送り込み薪を燃してガスを発生させたのでした。しばらくして手回し式ブローワーは電動式に置換されました。あるとき中学校で使用するストーブの燃料の薪を運ぶのに、10メートル程の緩い傾斜が登り切れずローギアでも上りきれず、バックで上ったのを記憶しています。トラックに人を乗せてバス代わりに使うのは当たり前の時代、荷台後部に鉄棒を溶接して乗降用のはしごを付けたり、鉄棒で屋根の骨組みをこしらえてテント地で天井や側面を覆ったり、ごく普通の情景として脳裏に残っています。 こういう場面の写真でもあればいいのですが、フィルムが高価で簡単には購入できない頃だったので我が家に唯一の写真機ピコレットも時々の家族写真のほかには使用できず役には立ちませんでした。このような子供の頃の情景を大切にと忘れないように頑張っています。 また米軍払い下げの後2軸の6駆トラックも配置されていました。 これも同じように乗降用はしごや屋根なども取り付けられ何年間か使用されていたように思います。そのうちに少しづつ新造のバスに置き換わったように思います。一番古い記憶では111-505、同級生の家が西町で小さな修理工場を営んでおり、そこにとまっていた記憶があります。終戦時に当時小学2年生だった私が1冊のノートにバスやトラックの番号を記しています。 トラックには3031491、 250811、11156などバスとしては40216、201455、10019など、いずれも鉄道省内の番号と思われます。 ライセンスプレートの番号としては兵3.514とか岡1.662とかが読み取れます。 いずれも昭和22年1月23日の日付が入っています。 メモした日だと思われます。 ① 212-23xx 観音寺営業所にて’55、56年ごろの撮影。 四国の悪路を何年も走り続けて役目を果たし終えた後の姿です。 方向幕もなく、車両番号も消されツバメマークも取り外されています。バックミラーも鏡の部分が見えません。 さらにこのバスの後ろには、もっと古いトラックが写っています。 このバス、ボンネットのラジェーター通風口には多くの細いスリットが設けられていますが、後期のバス②ではこれが太くて数が少なくなっています。本シリーズ34-⑧や35-①のように、 さらに古い形では左右のライトの間にある3本のメッキグリルが無く、まだまだ実用本意で余分なアクセサリーなど付ける余裕もなかったのでしょう。 ![]() ② 112-5014 佐川駅前にて’50年代後半撮影。 古畑ゆき、この1形はマイクロバスを除いて国鉄バスでは一番小さい形、特に地方路線に沢山配置されていました。 ![]() ③ 543-0005ほか 汐留貨物駅にて’60年6月頃撮影。 就職して間もない頃、通勤途上で汐留貨物駅で無蓋車に積まれている何台かの国鉄バスを見つけました。 日曜日に早速カメラを持って撮影に出かけたのですが、この撮影地にたどり着くのに結構時間がかかったように記憶しています。確か離宮方面からたどり着いた? バスは543-0005 ほか何台かで山口営業所にむけて運ばれるのが車内のメモから読み取れます。いまならとても標準レンズでここまで写せる距離には近づけないと思います。 ![]() ④ 873-3 館山営業所にて昭和35年撮影。 バスでないことは確かですが、当時トラックと言えば荷台だけ今のように箱型のはほとんどいなかったように思います。 この写真にあるのは屋根が付いておまけに窓までついて。 国鉄の小荷物輸送に使われていたようです。国鉄のトラックはあちこちで見かけたのですが、このようなタイプは余り記憶にありません。 数年前にモロッコに観光旅行にでかけました。マラケシュの町で私学のスクールバスと思われるバス、運転席とは完全に独立した、極端に言えば窓と屋根の付いた大きな箱を後部に設けているバスを見かけました。そこから何人もの黒と白の制服を着た女学生が降りてきていました。 ![]() ⑤ 413-190x 高知駅前にて 四国西部を縦断する高知と松山をなるべく短時間で結ぶ目的で運用を始めたマイクロバスによる特急便です。 昭和40年の時刻表では普通便で5時間30分かかった同区間 この特急バス「くろしお号」、「いでゆ号」では5時間7分となっています。 定員も多分10名か15名程度と思われますが20分ほど早く着くだけで特急料金100円も必要だったし当時の道路事情を考えると小型車では結構きついようにも思いますが、やや大きめのバスによる普通便とどちらがいいのかな? 座席指定はいいですが。 同形の413型が京都営業所にも配置されていました。 部外者の私には知る由もないのですが、多分京都と小浜を結ぶ特急バスとして検討されたのではないでしょうか。 営業運転は無かったようです。 ![]() # by qqmemoir | 2006-04-01 09:41
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