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① 671-7085 佐原にて’64年3月15日撮影
房総半島から茨城県方面を一巡りした時だったと思います。佐原の駅舎の片隅でしょうか。多くの米俵が山積されています。 さらに遠くには国鉄バスも停まっています。この翌年まではバスの前部中央にやや小さめの国鉄のシンボル動輪のマークとともにバスのシャーシー製造メーカーのマークも付けられていました。この車の場合いわゆるフロントグリルに相当する3本の飾りやライセンスプレートも取り付けられています。そのせいでしょうかいくつものマークが重なるように付けられて何ともみっともない感じ、多分エンジンが床下に設置されていた都合でライセンスプレートがバンパーからはなれて上部に取り付けられていたのも遠因です。 その後メーカーのマークが付かなくなるとともに動輪のマークがかなり大きくなりました。 ② 373-4073 土浦営業所にて’64年3月15日撮影 導入年度と撮影年からみて、本来の役目を無事果たし終えた後の姿だと思います。 補修用の部品取り用として置かれていたのかもしれません。 そういえば、昭和30年代はそんなに大きな規模の営業所でなくても車庫の片隅に旋盤が配置されていたり、エンジンを取り外したり、かなりの重整備が営業所単位で行われていました。 今ではこういう風景はほとんど見ることが出来ないようです。後日写真をアップするつもりですが、青森県の大湊ではちょうど私が訪ねたとき、営業所の敷地の隅に雨ざらしでエンジン単体が放置されていたこともありました。 ③ 431-2039 成田駅前 ’60年代終わり頃か? 今でこそ立派な国際空港が出来た成田、その成田の50年近く前の国鉄の玄関口の姿です。勿論成田山を意識した造りです。 ④ 773-2901 八日市場営業所にて’64年3月15日撮影 八日市場営業所でも貸し切り業務が行われていたようで、この車はエアコン付きのエアサス車、塗色の模様からピンクとグレーと白の三色、この塗色は余り長続きしなかったのですが、結構あちこちの営業所で見ることが出来ました。 水に写ったうしろ姿、時代とはいえ何とも野暮ったい感じ、でもグリーンと金茶色とベージュの標準色が多かったときこのピンク系の塗装はかなり目立ったのでは無いでしょうか。 ○ バスとは全く関係ないことですが、終戦直前の3月私は疎開、多数の子供が疎開してきたため1学年5組あった私の学校 1組に70名、二人用の机を3人で使用、教科書も新聞紙のような大きな紙に小さな字で印刷され家庭に持って帰って裁断して綴じて・・・ こんな教科書でした。勿論色刷りなんてことは考えられません。 でも終戦後2、3年で多くの疎開者が都会へと引き揚げたため、その学校今では2クラスでも多すぎるとか。
by qqmemoir
| 2006-04-09 16:07
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