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①543-37 篠山宇土観音バス停付近 50年代半ばの撮影
道路の舗装がまだまだ十分でなかった頃です。道路は洗濯板のように凹凸ができ、乾燥していると大変な砂埃なのですが、この日は少し湿り気があると見えて砂埃はたっていません。このバスは543-36とともに篠山営業所に最初に導入されたコーチ型で、一部路線の重なっていた神姫バスには既に何両かのキャブオーバー型が導入されていましたので、国鉄バスファンにとっては待ちに待ったコーチ型だったと思います。方向幕が低い位置にあったのと、後部最上部に大きなエンジン室への空気取り入れ口があったのが外観上の特徴でしょうか。 ②顕彰碑 水口営業所近郊にて’50年半ばの撮影 水口営業所は市街地の中心部から、国道1号線沿いの広い場所に移転しました。そのすぐ裏山は公園になっており、途中にこの菅健次郎氏の碑が建てられています。説明によると氏は水口出身で、国鉄(省營)バスの創設に尽力されたようです。 何かで知ったのですが、愛知県の瀬戸市近郊にも国鉄バス創設者(?)の碑があるそうですが、そちらは多分瀬戸市近郊の国鉄(省營)バスが、日本で一番早く営業を開始した場所なので、その行為に対して建立されたと思われます。 ③583-7501 新居町駅前にて’50年代半ばの撮影 以前からいろいろと改良は加えられていたとは思いますが、基本的には車体を懸架するスプリングは金属、それに替わって空気の圧力でスプリングの役目を果たそうと開発されたのが空気バネ、メーカーによりいくつかのタイプがあったようです。これは国鉄で最初に導入されたエアサスのバスです。画面では確認し難いのですがちょっと奥目の583型 懐かしいですね。57年式としては新居町以外では確認していません。58年になるといくつかの営業所にも導入され、さらに59年には導入されたバスの大半がエアサスになったようです。58年まではボンネット型のバスも導入されたのですがそれ以降はコーチ型だけで、エアサスのボンネット型は無かったようです。 ④ 一関にて’62年10月撮影 東北地方の主要都市一関です。 今から約50年近く前の姿です。天候のせいもありますが、どことなく石炭の匂いが漂ってくるような気がします。バスが一台トラックが二台、貨物輸送も活発だったのですね。両国のように貨物だけを取り扱う営業所もあったようです。このトラックのようなテント地による幌、最近は余り見かけなくなりました。 ⑤513-0612ほか名古屋営業所(支所?)にて’60年代半ばの撮影 名古屋と瀬戸市を結ぶ路線は、主として瀬戸営業所の受け持ちだったようで、また営業所自体が市街地にあったためか、名古屋営業所(支所?)はこのようにちょっと寂しい感じがします。写っているのは手前が513-0612、一番奥が673-1516です。 ⑥413-1906 落合にて’60年代半ばの撮影 国鉄バスを写真に収めるべく四国を一回りしたときの様子です。高知から松山へ向かったのですが、途中で三輪トラックが、道路脇の窪みに車輪をとられしばらく時間をとられたりと、アルバムにはいろいろと当時の雰囲気が収められています。道路事情も良くなかったこの頃、たとえ10分でも早く目的地へ着きたいというようなときには、この特急バスも重宝されたのでしょうね。座席指定やエアコン装備もきっと評価されていたと思います。
by qqmemoir
| 2006-04-30 10:42
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